◼リバタリア二ズムとジャムセッション

まず僕はこの本を読む前から直感的にどこにも属さない自分はリバタリア二ズムではないと思っていたがどうやらその通りであった。著者の渡辺氏もさんざんこの本で調査しておいて最後の最後で「私はリバタリアンではない。右も左もリバタリアンもどうでもよい」というまさにそれそれという見解でよりこの本を参考にしやすくはなったが肝心な追求が抜けている部分もある。

じゃあ、リバタリアニズムの基本である小政府、自由経済、寛容というのであれば実際に例えば、ダメ人間の数々の横暴やギャングやドラッグなど収拾つかなくなってアナーキーになったらどうするのか?民生機関で対応できるのか?など自由になった上の懸念材料について具体的な内容がないのは残念で、やはり机上の空論にもなりかねない部分をどう現実とのギャップを埋めるかについてもう少し掘り下げてほしいなと(新書では無理か。)

結局、リバタリアンといっても共和党と民主党どちらかに寄っていたりと中心からの幅がかなりある。
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それを知ってしまうと「どちらもどうでもよい」ことで、問題は「何が大事なことか?」というシンプルな根源的な問いに収束する。

音楽で言えば「究極の音」とでもいうのだろうかクラシックだ、ロックだ、ジャズだ、などなどどうでもよい。

キースジャレットなら「透明な感情」マイルスなら「お前のブルースを聞かせてくれ」とチック・コリアに言ったことなのかhttps://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1066176603494342&id=100003060376395

明るい未来に向けて歩む上でリバタリアニズムを考えるということは極めて大事だ。「自由」ということがポイントになってくるが「ジャムセッション」なんかをしていると「自由」の在り方が問われる。

例えば、①皆が知っているスタンダードで各自が自由に演奏するとか②いきなり曲も決めずにみんなでフリーに演奏するとか③誰も知らないオリジナルや曲をやり始めるとか④自分の事しかできないとか、そういった時に「自由」とは何かを考えさせられる。

これは去年2月に開催したファシリテイター長尾 彰さんとのコラボセッションで話題になった内容でもある。
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よく言われる「自由」には責任が問われるとはまさにこれで、
世界基準のスタンダードを演奏するということがいかに大事かということ、
なんでもやりゃーいいてもんじゃないとか独りよがりな演奏すんじゃねぇ~とか
個性やオンリーワンだからって適当なことやってんじゃねーぞとか、
良いかは別として技術はすごいですね~とか。
お客さんいないのに呼ばないのにライブ?とか、
ちゃんと人の音聞いてんのかよ!とか、
気持ちよく挨拶できんのか?とか、
なにスカしてんだよ!話できんのか?とか、
気配りできんのかオメーーは!とか、
なに調子のってミュージシャンぶってんだよ!とか、
もっと柔軟に対応できんのか!とか、
その人の気持ちになってみろや!とか、
もっと言葉に気をつけろや!とか、
もっと感じて考えろや!とか、
そもそも基本ができてるのか?とか

「ジャムセッション」に触れると今の世界での茶番政治や会社や社会問題のアホさがよーく分かる。

先日紹介した「自分の仕事を作る」の本で「ジャムセッション」について良いことが書いてあった。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1850470375064957&id=100003060376395

P112~「強力なリーダーが存在し、そのデイレクションのもとに動く中央集権型のチームよりも、目的を共有した自律分散型のチームの方が柔軟性に富み、変化への対応力にも長けている。サッカーやジャズ・セッションのようなものだ。」

そんなこと含め試行錯誤しながら僕はいつも「ジャムセッション」を開催しています。今月は明後日31日(日)13時30~ですので是非いろいろ語ろうではないですか!お待ちしております!

セッション詳細下記https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1882275591884435&id=100003060376395